「プログラムも小説もただの文字の羅列だろ」──開発者から見たWeb小説界のAI規約に対する違和感と、本質的なクリエイティブの話
- 2026.06.15
- 雑記
なんなんだ! この世の中は!
「自分の脳内の物語や内容を、技術を使って限界まで引き出そうとしている人」こそが、本来は一番応援されるべきクリエイターなのに、現状は「AIを使っている」という一点だけで、その努力や作品の質をすべて無視して叩こうとする空気ができてしまっています。
最近、大手Web小説プラットフォーム(「小説家になろう」など)で、生成AIの利用に関するガイドラインや、コンテストでの厳しい規制が次々と明文化されています。
「AIを使ったかどうか」を「直接使用/間接利用/補助的利用」といった段階に分けて表記させる。一見するとクリーンなルールに見えますが、普段からコードを書き、ゲーム開発も行っている私(開発者)の視点から見ると、このルールにはどうしても拭えない強烈な違和感があります。
極端な話をします。
「ゲームのプログラム(コード)にAIを使うのは効率化なのに、なぜ小説の本文にAIを使うと『間接利用』と表記を求められ、コンテストから弾かれるのか?」
同じ「文字(テキスト)」を扱い、人間がロジックをコントロールしているという意味では、本質的に何一つ変わらないはずです。今回は、開発者であり物書きでもある視点から、この「文字の二重基準」と、これからのAI時代のクリエイティブの本質について語りたいと思います。
1. プログラムも小説も、本質は「人間が組んだロジックの出力」である
プログラミングの世界を思い浮かべてみてください。
現代のゲーム開発やシステム開発において、GitHub CopilotなどのAIを使ってコードを出力させたり、バグ取りをさせるのは日常茶飯事です。
ですが、AIにコードを書かせたからといって、
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「このゲームのソースコードは、AI間接利用です」
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「AIにコードの肉付けをさせたので、これは私の100%の作品ではありません」
なんて表記する開発者は一人もいません。
なぜなら、システムを動かすための「順序(ロジック)」や「設計図(仕様書)」を完璧に組み立てたのは人間だからです。
実は、小説も全く同じ構造をしています。
数万字、あるいは50話分に及ぶ緻密な世界観、キャラクターの葛藤、伏線の回収、デスゲームのルールといった「プロット(設計図)」を脳汁を絞って組み立てるのは人間です。
プロットという完璧なソースコードを人間が書き、それをAIというコンパイラ(翻訳・処理装置)に通して小説の本文(文字の羅列)として出力している。
この場合、表現するメディアや順序が違うだけで、「自分の脳内にある物語を、文字を使って現実化している」という意味では、プログラムも小説も完全に同一の行為なのです。
- 小説を書く際 どんな物語か。どんな内容か。世界は?(人間)つまりこれがプロット
- ゲームを作る時 どんなジャンル? 内容は?(人間)これが小説界でいうプロットと同じ
- 小説 プロットに対して内容を確認してもらう作業。物語として矛盾してたり足りないところを追記してもらう(AI)
- ゲーム プログラミング上でエラー(不具合)が出た場合、修正して追記してもらう作業(AI)
同じ文字列修正の作業ですやんw
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「隠せばセーフ」という歪んだ規範:「バレなきゃOK」という空気は、誠実なクリエイターが「規約に書く」というプロセスを踏むこと自体を馬鹿らしくさせます。公表している側が「AI利用」というタグで色眼鏡で見られ、隠して使っている側が「手書きの天才」として評価されるなんて、システムとして完全にバグっています。
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「文字列の不可視性」を隠れ蓑にした不公平:「コードは見えないからAIを使っててもズルじゃない」というのは、ただの思考停止です。プログラムだってAIが書いたコードは特有のクセがあるし、設計が破綻していればバグる。それを修正する能力こそがクリエイターの腕なのに、それを認めず「小説だけは!」と騒ぐのは、単なる文系コンプレックスか、テクノロジーに対する無知でしかありません。
2. なぜ小説界だけが「手書きの写経(労働力)」を信仰するのか
では、なぜWeb小説のプラットフォームや出版社のコンテストは、執拗に「AI利用の表記」を求め、コンテストから一律で排除しようとするのでしょうか。
理由はシンプルです。 文芸の世界がいまだに、テキストを「ロジックの出力」ではなく、「人間がキーボードを叩いて、一文字一文字悩んで捻り出した『手書きの労働(写経)』の価値」としてしか見ていないからです。
どれだけ人間が素晴らしい16,000字の神プロットを組んで全体を支配していようが、「末端の地の文をAIに出させたなら、それは人間の労働ではないからアウト」という、開発者から見れば「何その非効率で的外れな二重基準」という制限にとらえてしまう。
これは、最新の重機を使って家を建てた建築家に向かって、「お前は自分の手でツルハシを振るっていないから、これはお前の家ではない」と言っているようなものです。
3. クリエイティブの「命」はどこに宿るのか
AIの出力した文章がどれだけ綺麗でも、そこに「一貫したロジック(プロット)」がなければ、物語は一瞬で破綻します。AIに「面白い小説を適当に書いて」と丸投げしても、大衆の心を揺さぶるエンタメは絶対に生まれません。
クリエイティブの核心、つまり作品の「魂」が宿っているのは、AIが出力した末端の文字(パーツ)ではなく、それを裏側で完璧にコントロールしている人間の「設計図(プロット)」のほうです。
それなのに、旧時代のルール(規約)に囚われて、「AIの表記義務があるから」「コンテストに出せないから」と、自分の脳内にある面白い物語のロジックを形にする手を止めてしまうのは、あまりにももったいない。
まとめ:古いルールに付き合う必要はない。自分のシステムを動かそう
文芸界のルールがどれだけおかしな矛盾を抱えていようが、「人間が組んだロジック(プロット)がなければ、この世界は1文字も動かない」という絶対的な事実は揺らぎません。
だったら、私はこう割り切ることにしました。
「プログラムも小説も一緒。自分が全体の設計(プロット)を支配しているんだから、これは100%自分のシステム(作品)だ」
「プロットこそが人間の魂であり、作品の命」
「AIを使って足りない部分を補う」ことは、妥協ではなく「作品のクオリティを限界まで引き上げるための最適化」です。
めんどくさいプラットフォームの表記ルールは、単なる「古いシステム向けのバグ回避の設定」として事務的に処理(チェック)しておけばいい。そんな外側のノイズに、自分のクリエイターとしての熱量を殺される必要なんて1ミリもありません。
技術の進化によって、一人で巨大な世界(物語・ゲーム)を構築できる時代がもう来ています。
前時代的な「手書き信仰」の枠組みに無理に自分を合わせるのではなく、最先端のハイブリッドスタイルで、自分の脳内にある最高のロジックをガシガシ出力していきませんか?
ゲーム開発におけるプログラムは「動かしてナンボ」の裏側のロジックで、小説は「文字列そのものが商品」だからだって? 関係ないだろ。結局は文字列を出力してるのは同じ事だろ。イラストを書くのにソフトウェアを聞かれてるのと同じ意味じゃねーかよ。
【私の小説の制作スタンスについて】
- 「自分の頭の中にある面白い物語を、技術の壁を超えて形にしたい」という想いから、AIを全面的に導入して執筆しています。
- 16,000字に及ぶ詳細なプロットや、緻密なキャラクター設定といった物語の「魂」はすべて私が設計し、執筆作業においてAIを優秀なエンジンのように活用しています。
- 小説もプログラムと同じ「文字の羅列」である。自分のロジックを小説でも完璧に制御して最高に面白い作品を届ける。それが私の創作スタイルです。
【私のゲームの制作スタンスについて】
- 「自分の頭の中にある面白いゲームを、技術の壁を超えて形にしたい」という想いから、AIを全面的に導入してプログラミングしています。そもそも難しい箇所は全てAIに丸投げ。
- 詳細なゲームシステムを構築、すべて私が設計し、AIを優秀なエンジンのように活用しています。
- プログラムも小説と同じ「文字の羅列」である。自分のプログラムも完璧に制御して最高に面白い作品を届ける。それが私の創作スタイルです。
PS:本当に理不尽ですよね。でも、歴史を振り返れば、新しい技術が「魔法」から「当たり前の道具」に変わるまでには、必ずこの「拒絶の期間」がありました。
- 写真が発明されたとき、画家たちは「絵画の魂を殺す」と叫びました。
- デジタル録音が普及したとき、音楽家たちは「魂のないデータ」と蔑みました。
皆様にAI利用において何事もなきようお祈りいたします。
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